子どもの頃から動物が好きでした。家は農家でもなく、むしろ野菜とか、近所の農家さんからもらっていたくらいです。中学生のとき、進路相談で動物が好きなら実業高校の畜産科へ進学したら、と先生に教えてもらってそちらに進みました。畜産科では、牛、豚、鶏と選べるんです。いろいろ聞いていると、牛は体を使うよ、ということを聞いて、これだ、と。体を動かすことが好きなんですね。
高校では、経済動物ということを知り、身近にある仕事で、すごい仕事だなと思いました。
動物の世話をするのが好きだったので、始発に乗って学校に行っていました。実習で搾乳、分娩などを経験して。大学は中国四国酪農大学校で酪農科に進学しました。こうして考えると高校・大学を通じては、まるで牧場の従業員のような生活でしたね。でも、少しずつスキルアップしていくのがうれしかったし、楽しかったんです。
そして、大学校で1年先輩だったいまの主人と知り合い、結婚しました。
結婚してから、現在のトールファームには入らず、4、5年は、別な仕事をしていました。というのも、ちょっと別な仕事をしてみたかったんです。自分ができることは、ほかにもいろいろあるんじゃないか、と思ったんですね。それでこの地元の東城で酪農とは違う仕事をしてみようと。でもあるとき、ふと「若いうちにトールファームの仕事を継ぐのがいいのではないか」と思い始めました。すでに子どももいましたから、
決断は早いほうがいいと思ったんです。
牧場以外の仕事は楽しかったですよ。東城のいろいろな人と知り合えたし、また他県から来た私を受け入れてくれました。いまでも外出した際に、かつてのお客さんに出会うことがあって、そんなときも快く声をかけてくれます。こういう土地柄と出会った人に感謝ですね。
酪農に戻る、と決めて仕事をやらせてもらえるようにお願いして。トールファームに入り、少しずつ牛に近づくように仕事をしていきました。いまはロボット搾乳がメインですが、いろいろなことが起こります。牛にはそれぞれ個性があって、いろいろな好みがあるんですね。いつもはここで寝るのに、今日は違うな、とか。歩き方が変だな、ちょっと様子が変だな、とか。牛の姿を見れば、検定番号はほぼわかりますね。個体の識別ができるので、いちいち番号を確認することはしないことが多いですね。番号だけでは、その子が昨日はどうだったか、ということはわかりませんから。そのくらいの観察力を身につけるコツは、とにかく牧場にいる、ということですかね。長く牧場にいて1頭1頭の牛を観察していると、いろいろなことに気づけるようになります。そうすると、早めに対処することができるようになります。
以前はよく失敗をしました。ある母牛を観ていたとき、ちょっと変だな、と思ったんです。でも誰にも、そのことを言わなかったんですね。そうしたら、その母牛は死産になってしまいました。とてもくやしくて、あのとき様子が変だと気がついたのに何もしなかった自分が腹立たしくて。後悔しました。悔しい思いでいっぱいになって、もう2度と失敗しない、と誓いましたね。
命を身近に感じられる仕事ができる、というのがやりがいです。だからこそ、牛が肉になったら、食べてあげないといけない。友だちに、牛の世話をしていてその牛の肉を食べるのはつらくない? それができるの? と聞かれたことがあります。でも、それはだからこそ、食べるべきだと思っています。酪農の仕事をしていてその牛に仕事をしてもらったわけですから。食べてあげないといけないんです。私たちの仕事は、産まれて生乳を生産し、その役割を終えた乳用牛をトラックに乗せるまでが仕事なんです。生乳を生産するという仕事を終えた乳牛が、トラックに乗せるということは肉用として処理されるということを意味します。そのことを避けて通ることはできません。命をいただく、食べることが必要だと感じています。
将来の夢は、あくまでもサポートに徹するということですね。経営は私には向いていないと思いますので。この牧場の未来に向けてサポートをしていくことに自分の力を注いでいきたいと思っています。
牧場を営農する人間にとって大切なことばがあります。それは「長命連産(ちょうめいれんさん)」。文字通り、長生きしてもらって産み続けてもらうことです。そのために、牛に対して何をしていけばいいのか。そのことを思いながら、仕事をしていきたいと思っています。
思いをもって行動する人だと思います。人を引っ張っていく力がすごいですね。社長になるべくしてなった人と思います。
(たがわ さき 2024年5月インタビュー)