トールファームから比婆肉本舗へ。
比婆牛をしっかり
商品化していきたい。

田川仁美

小学校、中学校のときは、野山を駆けめぐっていました。中学生のときは、バスケットボール部に入り、毎日練習の日々でしたね。運動が好きでした。でも練習がきついので、やめたいな、とも思っていました。高校へ入学したとき、友だちといっしょに「もう、バスケをするのはしんどいからやめよう。テニスをやろうよ」と話をしていました(笑)。だけどやっぱり、バスケ部に入ってしまいましたけど。先輩に強く誘われて断れ切れなくなったんですね。

高校を卒業すると、広島市のアパレル系の販売会社に就職しました。その会社ではショップ店長、バイヤーなどをやっていましたね。そのあと、田川と結婚しました。

牛乳嫌いがジェラート販売に

 

私は、牛乳が嫌いでした。結婚するまでは牛乳は好んで飲みませんでしたから。ところがトールファームの牛乳を飲んだとき、おいしいって思ったんです。それで、この牛乳を使ってジェラートを販売したいと思いました。卵を使わずに作れば、牛乳本来のおいしさをわかってもらえる、本当においしいジェラートができると確信したんですね。

でも、その開発に1年もかかってしまいました。30品目のメニューを考えて試作して、味見をしてという日々でした。お店のオープン前日まで、試作に追われていましたね。単なるジェラートではなくて、いろいろなフレーバーというか、味わいのあるメニューを考えていました。こだわったのは、義父母がおいしく育ててくれたほうれん草を使った野菜ジェラートとか、夏イチゴを使った自然な酸味がおいしいジェラートとか。たくさんの種類を考え、試行錯誤して。ところがあるとき、乳牛の生産調整のため、ジェラートショップであるリストーロを閉店することになってしまいました。

子牛担当になって

その後、トールファームの子牛担当になりました。子牛を健康に成長させるための世話、育成ですね。生まれた子牛を育てるというのはたいへんなんです。私にとっても初めての経験なのでわからないことばかりで。子牛にもそれぞれ個性がります。この個性に合わせてお乳を飲ませるんですね。飲んでくれない子牛もいます。なぜ飲まないのかを考えて、対処していましたね。たとえば、子牛は体便がでているかどうかを確認して、出ていない場合は、飲んでくれるように刺激したり。子牛の便の色を見て健康状態を確認したり。下痢はしていないか、血便はしていないかとか注意深く観察して対処するようにしていました。

こうして子牛の成長を見守っていくのですが、順調に育っていくのを見るとうれしいですね。病気にならず、死んでしまうこともなく無事に成長してくれたことが、とてもうれしく、夢中になっていましたね。

ところがあるときから、顔の左半分が腫れたり引いたりを繰り返すようになり、それが治らなくなってしまったのです。病院で診察してもらうと、鼻前庭嚢胞と診断され、手術が必要だと言われました。牛の世話をしているうちに、アレルギー反応を起こして発症しているのではないか、と主人に言われ、結局、子牛の世話ができなくなってしまいました。

酪農から「楽農」へ

トールファームでは自動搾乳機などを導入して、経営の合理化、高度化を進めてきました。

こうした技術の高度化などにより、省力化、効率化はこれからも進むでしょう。とくに若い人たちには「酪農」が「楽農」になっていくことを強く望んでいます。人材不足は、こうした技術の導入で解決できるかもしれません。そうすれば、酪農は大きく変わるはずですから。

これからは比婆牛に特化して考えてくれ、と社長に言われていますので、さまざまな方とお会いしながら、販売について考えているところです。比婆牛の認知度を向上させて、たくさんの人に知ってもらう、食べてもらえるにはどうしたらいいか、模索していきます。 そして、最終的には庄原市に来てもらう、足を運んでもらう理由になるくらいのブランドに育てていきたいですね。生まれ育ったこの広島県庄原市がより潤っていくようになれば、と考えています。

(たがわ ひとみ 2024年5月インタビュー)

 
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